【震災支援】
先週はたくさんの広域避難者のご家族とお会いすることができました。
ご家族から離れて働かれていた職場で、倒れられ入院されていたお父さんが無事に退院されたお祝いもすることができ、もちろん家族が一人療養生活を続けられるという意味では、退院=始まりでもあるので、大変だけれども、でもご家族がそろっての笑顔には、私たちもたくさんの元気をいただくばかりでした。
最近の避難世帯の皆さんとの会話は「お互いに『です・ます』をやめたいね」「『さん』づけよりも愛称で。」「飲もう!」「泊りに来てね」「遊びに来てね」「普通のおつきあいが一番だよね」「楽しいことをまたやろう」「脱力したいね~」そんな言葉ばかりが増えてきました。
温かい東北の皆の人柄、食のテーブルを愛する姿。その中で家族全員が「私より、お母さんの話をきいてね」「私より、娘をよろしくね」と家族をいつも労わっている。お父さんは無言で手を握ってくる。
時々、心の底から自分が「お父さん」「お母さん」と自分が甘えているのに気づくこともあります。
支援というのは、たまたま私たちが被災された方に出会う一つの方法だけれども、何よりも望むことは、一緒に家族のように少しでも労わりあえたら、何かのときには、お互いに相手の顔が浮かぶ関係になれたら・・・。
人とつながりたい。
そうすることで、しっかりと「この人生を生きたい」と願い、日々を暮しているニバルレキレの自分たちには、本当に震災は耐えがたく辛いものだけれど、同時にこのたくさんの出会いをいただき、感謝以外の言葉ではあらわせない気がしています。
ただ、話す。泣く。笑う。食べる。飲む。寝っ転がって空を一緒に見る。肩の力を抜く。
東京に避難されている生活に必要なのことには、「支援」も確かにあるでしょう。
でもそれだけじゃ、被災者は「被災者」でいなければいけない。
被災者は「私」として生きたがっている。
過去の自分からしっかりとつながった、「私」として、生きたい。
あたりまえの自分の本来の感情のままにいられる場所を、この東京で見つけたい。
あたりまえの家族でいたい。
ときに「支援」がその自然な暮らしを、歪ませてしまうこともこの2年間に私たちは教わってきました。
被災者の方にとっては、とってもしんどく辛い時間。
まだ何年も続く当たり前が、当たり前でなくなってしまった時間。
いったい私たちには何ができるでしょう?
3.11を前に、ニバルレキレなりに、しっかりと、じっくりと考えていきたいと思います。
南アフリカから私たちが教わってきたことがなんなのか、しっかりと振り返っていきたいと思います。
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