(ジョハネスバーグ発 10月4日)HIVの治療とケアへの取り組みの世界的な流れを作り出した南アフリカ共和国のHIV陽性者のアドボカシー団体、「治療行動キャンペーン」 Treatment Action Campaign: TAC の10年以上に渡る活動の歴史をまとめた本が完成した。
「命のための戦い:治療行動キャンペーンの歴史」Fighting for our Lives: The history of the Treatment Action Campaign(ネット閲覧可能)は、ムベキ政権時代の「エイズ否定論」に苦しめられた日々、HIV治療に道を開いた裁判での勝利、そして、近年の「レズビアンを治す」ことを名目とする性暴力 corrective rape 及び外国人移住者への暴力(ゼノフォビア)に対する最近の取り組みについて概観している。
この本は、HIV治療へのアクセスが勝ち取られた経緯について関心のある人々にとっては、十分な内容を提供しているわけではない。その課題に関心のある方には、「妄想の暴露:治療行動キャンペーンの内幕」Debunking Delusions: The Inside Story of the Treatment Action Campaign (2010)をお薦めする。
「命のための戦い」は読みやすい内容となっている。TACが汚職問題を理由に全国HIV陽性者協会 National Association of People Living with AIDS (NAPWA) との関係を断ち切った歴史的事件や、裁判でマント・チャバララ=ムシマン元保健大臣(2009年12月に死去)Manto Tshabalala-Msimang と戦った事件は半ページ程度に要約されている。この本は、TACの歴史を大雑把に描いたものとも言えるが、1998年に始まったTACの活動の歴史の中で忘れられそうになっている事物を思い起こさせるという重要な役割を果たしている。
アフリカ大陸の初期のHIV流行への対応においては、HIV陽性者が組織する全国規模の団体が誕生し、それらの団体は多くの国々において(活動期間の長短は問わず)優れたHIVのアドボカシー団体へと成長した。その1つであった南アフリカのNAPWAは、現在は殆ど機能しておらず、その周辺団体も汚職問題で苦しんでいる。
2003年、南アフリカでは1日に約600人もの人々がエイズで亡くなっていた。TACのメンバーも例外ではなかった。「命のための戦い」は、その戦いの中で志半ばにして亡くなったメンバーについても振り返る。エドワード・マブンダ氏 Edward Mabunda ― 詩人であり、TACのリーダーであった。サラ・フラレーレ氏 Sarah Hlalele ― 息子への母子感染予防サービスを拒否された彼女の体験は、TACによる憲法裁判所への訴訟内容の一部となった。そして、クリストファー・モラカ氏 Christopher Moraka ― 彼は亡くなる前、国会でフルコナゾール(抗真菌薬)の価格の高さについて訴えた。死因のひとつに、その薬によって治療可能な感染症が含まれていた。
「命のための戦い」は、トピックによっては内容が不十分なものもあるが、TACの画期的な取り組みと人々の命とが強く結びついていること、つまり、TACのその時々の決断と抗議行動が、HIV陽性者とその家族、国、そして世界のHIV治療へのアクセスへの闘いにどのような意味をもっていたのかを知ることができる。
原題:South Africa: Twelve Years of the TAC Fight
出典:IRIN Plus News: Global HIV/AIDS News and Analysis
日付:2011/10/4
URL:http://www.plusnews.org/report.aspx?reportid=93876
(グローバル・エイズ・アップデイト 第182号より転載)
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