それは病気の赤ん坊から始まった。
1987年ジンバヴェが激動の時代にある頃。
プリスカ・ムロロは愛する軍人の夫との間に3人目の子ども、アグネスを出産した。その子はあらゆる病気になり、何か問題を抱えていることは明らかだったが、どうしたらいいか彼女にはわからなかった。
あるとき医者がアグネスを検査する。アグネスがHIV陽性だった。
エイズは「セックスワーカーや売春婦のなる病気で結婚している女性や子どもには関係のない話」だと思っていたプリスカは動揺した。
検査結果の紙を冷たく放り投げる病院職員の態度には、いたわりの微塵もなかった。
そしてプリスカにも、アグネスはその瞬間、愛する子どもには見えなかった。
プリスカはアグネスを、床へ投げ捨て、泣き叫びながら道路へ飛び出すと卒倒してしまった。
目をさましたアグネスへ夫は「エイズなんて何かの間違いだ」と優しく言った。
アグネスの懇願で彼女達はエイズ検査をした。二人とも陽性だった。
医者はアグネスの余命は2週間、プリスカと夫の余命は3ヶ月と宣告した。
退院したアグネスとプリスカを自宅に迎え入れたとたん、優しかった夫は豹変した。
「家を仕切るのは俺だ。俺がルボラ(婚資)を払っていることを忘れるな。
HIVのことを誰かに話そうものならお前を殺す。」
軍人の夫の言葉は脅しではなく本当だろう。
アグネスは夫に従い秘密を抱えて生きていくことになった。
医者の余命宣告よりも、彼らは長く生きた。
秘密を持つ孤独感。
アグネスはラジオでエイズ女性のためのサポートグループのことを知り、夫に内緒でそこに参加するようになる。
サポートグループでは誰もが同じようにHIVに感染していたが、「自分達はウイルスとともに生きていく」と希望を抱いて活動していた。
それでも治療薬など手に入らない環境で、仲間は次々と死んでいく。
1995年にはアグネスに死がやってきた。
アグネスの死をきっかけに夫の病状はみるみる悪化していった。
夫の家族が伝統祈祷師とやってくると、
「プリスカが呪いをかけた」と責め、夫を生まれ育った村へと連れ去っていった。
そして家財道具すべても。
夫の死後、プリスカの病状も悪化していく。
遺された子どもを抱え、どう生きていったらいいかわからないままに、
プリスカは罪悪感を抱えながら、売春を行なう。
そんなプリスカに救いの手をさしのべたのは、やはりサポートグループだった。
HIVカウンセラーの育成コースで学ぶ支援をしてもらい、彼女は新しい人生を歩みだそうとする。
そんなときの息子の自殺。
遺書には教師から性的暴行を受けたこと、自分は妹やパパのようにエイズで死にたくないから
自分で死ぬんだ。と書かれていた。
もう自分の感染を秘密にした人生は限界だった。
プリスカは家族の前で、自分たちのエイズの問題をすべて打ち明けた。
「家族を汚した」プリスカを、家族は殴りつけ痛めつけた。
プリスカは、もう感染を公表していきることをひるまなかった。
国営テレビのインタビューにも答えるプリスカ。
治験の薬を手にし、健康も取り戻しつつあった。
プリスカの周囲には彼女の助けを求める人が集るようになっていった。
プリスカは言う。
「私たちの文化は、伝えない。話さない。そのことでこの国は滅びていくのよ。」と。
多くの人がHIVを保持していて、まったくそれに関係のない人などいないジンバヴェ。
HIV陽性者であることを公にする勇気のある人は一握りにすぎない。
今では理解も広まってはいるが、それでもスティグマは残り、悪いことはその人の
行いがもたらすものとして責められ、あるいは魔術によって起こるという考えも
根強く残っている。
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