これまでの小学生を対象とした活動に加えて、2012年6月からは保育園もスタートしました。
保育園だけは可能な住民からは利用料を支払ってもらい、セチャバ自身によって運営費を生み出す工夫をしています。利用料は、南アとしては格安の月額75R。日本円にして、800円くらいです。
家庭の事情による配慮をしているので、無料で利用している貧困家庭もありますし、子どもがHIVに感染している場合も無料でケアすることにしています。すべてのルールは、コミュニティの住民自身が決めていきます。
力を入れているのは、HIV陽性者の親の心理ケアと、HIVに感染している孤児(親戚宅に引き取られ、セチャバへつながります)の健康や養育環境のチェックです。
2012年に30名の乳幼児、2013年には51名の乳幼児がこの保育園を利用しています。
何かやりたい。
でも何ができるのかわからない。
そう言って、毎回必ず子ども達にお皿の洗い方を教える青年。
セチャバはセンターになって早々に強盗に入られ、窓などの家具を盗まれました。
それを聞いて、自分が夜は住み込んで警備の代わりをすると申し出てくれた青年。
敷地内にはたくさんの砂地が広がっており、風が吹くと建物にはたくさんの砂が舞い込み、背の低い子どもの目に砂が入ってしまう危険がありました。
リヤカーとスコップを持って砂を持ち出しにやってきてくれた男性。
スラムは犯罪の多い地域。
子ども達への安全教育の一つになるのではないかと、空手の先生をしている青年が放課後ボランティアの申し出にやってきました。
とても大切なこと。
それはスラムの若者誰もがエイズの影響を受けているということです。
彼らはHIVに感染する危険のある世代。
そして実際に多くの友人たちをエイズで失っている世代。
失業率の高さの中、貧困の中、希望を失ったり、自分の人生を自身でコントロールできるという感覚を失っていたりします。
彼らがセチャバで、エイズ孤児のためにボランティアをするためには、自分に何ができるかを探していく作業が必要です。その手さぐりの作業の中で、エイズ孤児の手本になろうとしていきます。
貧困地区の若者たちが希望を見つけること。自尊感情(自分のことを大切にする、ありのままの自分を愛する感情)を育てていくこと。
それによって、幼いエイズ孤児たちが、自分たちの手本(ロールモデル)を見つけていきます。
スラムに住むすべての世代の人が、自分にできることを見つけていく場所。
それがセチャバセンターなのです。
彼はセンターと同じく広場に面した場所に住んでいる、スラムの青年です。仕事を探しながら、空いている時間にはセンターへやってきて、子どもたちの放課後活動を手伝ってくれています。
彼女の夢は警察官。
何よりもその正義感で、センターに起きた問題を解決していきます。
日々熱心に、リーダーのソーシャルワーカーからコミュニティづくりについて学んでいます。
彼女の夢はソーシャルワーカー。
10代ですが、そのエネルギーで訪問活動を熱心に行い住民の人気者になっています。
専門的な相談はきちんとソーシャルワーカーに引き継いでいきます。
エイズ孤児のブリジットたち。
OBとなってしばらくは、子どもたちと遊ぶためによくセチャバに来ていました。
今、彼女たちの夢はまずは高校卒業資格をとることです。
→セチャバのOBとなった彼女たちはどんな風に今はかかわっているの?
2013年に皆様のご支援によって、物理的な環境も、活動内容も様々な進歩をとげることができました。
本当にありがとうございます。 →くわしくはこちらから
子どもたちが活動しやすいセメント床にする必要があります。
砂地やゴミの山を撤去して衛生的な環境にする必要があります。
窓やドアに鉄格子をつけて、強盗被害に再びあうのを防ぐ必要があります。
トイレを設置する必要があります。
2013年に行政から設置許可がおりました。
薪での調理から、ガスボンベや石炭によるコンロに変え、キッチン専用の建物をつくり、子どもの怪我を防ぐ必要があります。
水を汲みやすくする工夫が必要です。
いずれは水道設置の工事が目標です。
訪問活動もスラムからのボランティアが増えてから、より積極的に行われるようになりました。
自分たちの住む場所を良くしたい。
そんな気持ちにあふれる日々の活動です。
いろいろな家庭の事情を守秘義務を守りながら確認し、専門的な支援が必要な場合は専門の資格をもったソーシャルワーカーのスタッフが訪問をしなおして支援します。
彼はセチャバのことを近所の人からきいて、やってきました。
脳梗塞後の麻痺を抱えています。
本来なら障害者手当がもらえるはずですが、理由もわからないまま主治医が更新の手続きをしてくれないために、収入が途絶えてしまいました。
この日の相談の直後にソーシャルワーカーが彼の家を訪問した上で、障害者手当が再びもらえるよう手続きを支援しました。
彼はHIV陽性者です。(写真は本人の了解を得ています)
スラムで一人暮らしをしており、食事づくりや健康管理の不安を相談しにセンターにやってきました。
昼間をどう過ごしたらいいかわからないということもわかったので、センターで給食を食べ、体調の良い日には掃除やゴミ拾いなど彼が「自分にできる」と申し出たボランティア活動をしてもらうことが決まりました。
スラムの引き取られた家庭で暮らす彼らは、スラムの中にある広場の奥に、廃材を使ってバリケードを作って大人たちをシャットアウトしています。
放火その他の非行の問題を起こしたり、地域のギャング(ツォツィ)達とのつながりが既にできてしまっている子どももいます。エイズ孤児の子どももその中に含まれています。
バリケードやその子達の家庭訪問を重ねる中で、家庭にも貧困だけでなく、虐待その他の問題があることがわかってきました。
日々、現場のスタッフをリーダーのソーシャルワーカーがスーパーバイズ(かかわりについての指導やフィードバックを重ねて、対人援助技術のスキルを高めていく作業)を行いながら、訪問を続けていきました。
なるべく男性のボランティアが訪問し声をかけたり、女性ボランティアは洋服の洗濯をするなど、家庭の延長の役割をとる中で、ゆっくりとですが登校する子どももあらわれ、
2013年末には半数の子どもが学校へ登校し、セチャバを利用するようになりました。