エマプペニへの道
エマプペニへの道

セチャバセンターができるまで (1)

 

セチャバセンターがあるのはエマプペニというハウテン州エクルレニ市の小さなタウンシップ。

隣にあるムプマランガ州に隣接しています。

つい最近まではハウテン州の地図にも表記されないスラム地域も含めた小さなエリアです。

 

このエマプペニという場所にニバルレキレがどう出会い、

どのようにセチャバセンターが生まれたのかを紹介したいと思います。

 

(名前は本人の了解がないものについては仮名とします。)

 

エマプペニの光景
エマプペニの光景
成長し一児の父となったエイズ孤児ンポ
成長し一児の父となったエイズ孤児ンポ

1. HIV陽性者 トンビとの出会い

ニバルレキレ(当時は代表の小山一人による活動)と、トンビという女性の出会いは2004年1月。

当時トンビは30歳。

小山がトンビに出会ったのは、彼女の妹のゼンジレの葬儀の前日。

 

ゼンジレはエイズによる日和見感染の悪化によって亡くなりました。

南アでは葬儀は亡くなった人の家庭で行われるのが一般的です。

また、葬儀には多くのタウンシップの友人・知人・近隣者が訪れるため、かなりの量の食事を訪問者のために用意する必要があります。

葬儀の費用はゼンジレの場合は家庭には葬儀のためのお金がなかったため、エマプペニ内で彼女が所属していた教会と、亡くなったエイズホスピスからの寄付で準備しました。

 

 

 

トンビは葬儀準備の炊き出しが行われている家で寝込んでいました。

ゼンジレのお母さんは当然ながら悲嘆にくれていました。

暗い家に灯りゆらぐロウソク。

古びたマットと毛布。

彼女たちの生活の苦しさは簡単に想像することができました。

 

お母さんとは英語でのコミュニケーションは困難。

一方トンビは無口なものの英語は堪能でした。

トンビの体調と、家庭の経済状況が気になった小山は3者での面談をおこないました。

 

面談の結果、彼女たちはゼンジレを失った悲しみにくれていること。加えて、ゼンジレの遺した孤児をこれから扶養していく不安、自分たち一家の今後の生活への不安でいっぱいであることがわかりました。

またトンビもHIVに感染しており、地元の公立のクリニックへ通院していることを打ち明けてくれました。

 

しかも免疫指数を示すCD4カウントは18という低い数値で、体調不良に苦しんでいることもわかりました。

18という数字はいつ何が起きてもおかしくない状況です。

(200を切るとさまざまな日和見感染を発症すると言われています)

 

アフリカ諸国では、HIV陽性者や彼女のようなエイズを発症した方が必要な治療を受けられない状況が続いているのです。

 

当時は彼女の通う公立クリニックでは抗生物質の処方はできないので、必要なときは隣町のデヴィトンのクリニックへと紹介される流れになっていました。

しかし、デヴィトンまで出向く交通費がないので行けずにいるとも教えてくれました。

 

2. 社会資源につながることの難しさ

これまでのトンビたちの家庭は、母親・トンビと彼女の息子ンポ・ゼンジレと彼女の娘ブリジットの5人家族。

他の家族はヴァセロナという、比較的近くのスクォッターキャンプ(スラム)に住んでいました。

 

5人の経済基盤は、子供2人の児童支援手当とゼンジレの社会援助給付金。

ゼンジレが亡くなったことで、経済基盤が児童支援手当だけになってしまう。そう家族は恐れていました。

 

しかし、この段階で誰かが彼女たちをもっと支えていればトンビにはかなり前から障害者手当をもらえる資格を満たしていること(当時は、CD4カウント200以下のHIV陽性者が給付の対象)がわかったはずでした。

 

また、ゼンジレさんの遺したエイズ孤児を扶養する意志のあるお母さんが、養子手当の手続きをすることができるということの情報があればもっと早くに安心できていたはずです。

 

南アフリカでは社会資源の情報を知ることが、日本よりも非常に難しいという問題があります。

アフリカ諸国の中では、社会保障制度があるという良さを持った国ではありますが、その情報を行政機関のパンフレットをもらう機会はエマプペニのような僻地のタウンシップでは難しく、また、福祉の専門職である行政のソーシャルワーカーは週に1回しかこの地には来ず、訪問活動はいっさいおこなわれていませんでした。

 

3. ニバルレキレによるソーシャルワーク

トンビには、早急に障害者手当の申請をする段取りを案内しました。

また手続きに出向くためにかかる交通費と当面の生活費を、ニバルレキレの活動費から保障することとしました。

 

相談者との関係性によっては、手続きへ同行したり生活費についてはお金でなく食糧その他の物資による支援を行う場合もあります。

トンビは非常に物事の理解力が高くお金についても正しく使えるであろうと判断しました。

体調の悪さという不安はありましたが、このような場合「社会資源へ自身の力によってつながる」という行動をニバルレキレでは大切にしているため、トンビ自身による手続きを案内しました。

 

また、お母さんにはトンビの通訳を通じて、養子手当の手続きを同じく案内。

なお、お母さん自身はあと1年待てば、老齢年金がもらえることも情報提供しました。

 

治療に関しては、トンビは2004年の4月から始まろうとしていたエイズ治療(抗レトロ治療薬による治療:ARV治療)の公立病院での公費負担の情報は知りませんでした。

 

障害者手当の手続きのための診断書を医師に依頼する際に、ARV治療へのエントリーを希望するよう彼女に促しました。

 

4. 生きのびることができない

トンビはすぐに障害者手当の手続きを始めました。

そしてARV治療を受けたいという希望も医師に伝えました。

しかし、医師に答えをはぐらかされたまま通院から戻ってきて、失望した表情でクリニックでの会話を私の前で再現してみせました。

 

エマプペニの住民はARV治療のためには、当時はファーイースト公立病院(乗り合いバスで3回乗り継ぎ)に通うことになります。

そこへの紹介をトンビはしてもらえなかったのです。

 

また亡くなったザンジレは結核を発症していたため、トンビ一家の結核検査をクリニックに要望しました。

これも医師に不要と判断されてしまいました。

そこで、クリニックにはニバルレキレからも交渉を行い、そしてなんとか家族の結核検査が実現しました。

 

トンビは自分の暮らすコミュニティと行政への失望の気持ちを繰り返し口にしました。

そして、自分がこのままでは間もなく死ぬであろうということも。

 

この段階で、治療に関しては根気強く、地元のクリニックとファーイースト公立病院にも直接交渉していく方法をとりました。

並行して、この年の1月から無料でのARV治療を提供するクリニックを開設したボックスバーグというタウンにあるカトリック組織の運営するエイズホスピス・セントフランシスケアセンターのクリニックへの受診手続きをとりました。

 

セントフランシスケアセンターのクリニックは、ARV薬のみの提供を行うというクリニックだったので日和見感染の治療やその他の日常的な検診は地元の公立のかかりつけの医療機関を継続するという仕組みをとっていました。

 

そのため、このクリニックを早急に受診することによって「ARV治療を開始したいので、まずは公立のクリニックにて結核検査を行って欲しい」 との依頼状を書いてもらうことができ、これをとりかかりに結核検査を実現することにしました。

 

結果、トンビは結核も陽性であることが判明。

さらに交渉することによって、同居する家族全員の結核検査もやっと行ってもらうことができました。

幸い、他の家族は陰性でした。

 

結核菌への陽性反応が出た場合、原則的にはARV治療をすぐに始めることはできず2か月間は結核治療に取り組むことになります。

これに関しては、トンビの免疫の低さ=緊急性を判断してARV治療も同時に始める医療機関を探すという選択肢もありましたが、トンビは拒否。

 

これまでの人生の中で、粘り強く生きる道を探したり権利を主張する体験に乏しかったのかもしれません。

あるいは、実際に医療機関の職員や行政職員へ落胆する経験もしてきたことも原因なのでしょう。

あらゆる社会資源への信頼関係を持てずにおり、ニバルレキレがかかわりが深く、ゼンジレを私が看取ったエイズホスピス(上記クリニックと併設)にだけは、何とか希望を託している様子でした。

 

これは、家族の末期のケアをしてもらったという思いと、途方にくれていた自分たち一家に生きるための情報提供をしているニバルレキレとのつながりによる信頼、あるいはタウンシップの外の人間(日本人)による介入という初めての出会いの体験が幸いして生まれた信頼関係の第1歩だったように、今は感じています。

 

5. 見出した希望

トンビは地元のクリニックで結核治療をスタート。

毎週、小山が訪問してトンビに生活管理について助言しながら、心理的なサポートと、社会援助給付金が決定されるまでの食糧は保健用品、有料の場合の抗生物質などの薬剤、ビタミン剤の支援を行う訪問活動を続けました。

 

なぜ食糧支援を行い続けたかというと、南アには緊急支援制度としてのフードパーセル(缶詰や主食のトウモロコシの粉のミリミリなどの食糧)の支給サービスがあります。

それをエマプペニで請け負っているNPO団体があったのですが、自分たちの1回の訪問時にトンビたちが不在だったこととその後のコミュニケーションの齟齬を理由に支援を中断してしまっていたからです。

 

トンビたちの家族関係は円満でゼンジレの遺した孤児も大切にされ、タウンシップではめずらしく貧困ながらもボロボロの掘立小屋の庭先に花を咲かせる家庭でした。

 

トンビの暮らすエリアにはHIV陽性者のための自助グループはありません。

自助グループを運営しているクリニックはトンビ宅からは遠い場所にありました。

トンビの了解を得て、他のタウンシップで暮らす自助グループのリーダーやメンバーに連絡をとり、彼らによる訪問や声かけ(中古の携帯電話をニバルレキレから提供)も導入し、グループメンバーとトンビ一家で協力しあって、庭先に野菜畑も耕し、生活の糧を増やす機会も作っていきました。

 

障害者手当も支給が開始されました。

 

トンビはこれまで隠していた自分のHIVステイタスを(南アのタウンシップでは感染しているか否かを知ることを「自分のステイタスを知る」と表現します)友人たちに打ち明けられるようになっていきました。

 

そして 「もしも自分に生き延びるチャンスが与えられたら、この地域にエイズとともに生きる人たちのための、サポートグループを作りたい」 とも言うまでに変化していきました。

 

6. 厳しい現実

トンビは、自分のエイズとともに生きる人生に小さな希望を見出すまでになりました。

 

しかし、実際に彼女の免疫力で日和見感染を抱えながら満足な治療を受けられずにいることは過酷です。

結核の症状はなかなか改善されず、それだけでなくカンジダ食道炎・胃炎も発症(抗真菌薬は処方してもらえました)。

 

4月まではなんとか頑張って生活していましたが、その後に髄膜炎も発症してしまいました。

結局ARV治療の導入に至る前に、ザンジレと同じエイズホスピスに入院し、10歳の息子を残し、5月に亡くなりました。

 

彼女の10歳の息子、ンポ(「贈り物」という意味の名前)は数か月のかかわりの間、ずっとトンビの病状や家族の状況の話にしっかりと加わっていました。

トンビと、彼にとってのおばあちゃんを支えながら、従妹であるエイズ孤児のブリジットの世話もよくみていました。

 

トンビの友人になったサポートグループのリーダーから、繰り返し、「トンビの病気や死は彼のせいではないこと」「彼は子供らしく学校生活や遊びを楽しむ権利がある」ことを伝え続けていたこともあり、何よりも当時の彼自身の強く懸命な性格で、学業も頑張り続けました。

 

トンビのお母さん、彼にとってのおばあちゃんの存在は彼にとっての救いでした。

 

ところが数か月後、外来通院検査を定期的にしていたにもかかわらず、トンビのお母さんはある日急激に体調を崩して、入院直後に亡くなってしまうという悲劇が起きてしまいました。

 

小さな掘立小屋に、ンポとブリジットという、それぞれにお母さんを亡くした幼い孤児が残されたのです。

 

ニバルレキレが大切にしていること。
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3000円で1人のエイズ孤児を1ヵ月サポートすることができます。
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HIV陽性者の生活を支援
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貧困地区や施設のエイズ孤児を支援
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遺族の心のケアと暮らしの支援
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エイズ孤児を守る、スラムでのコミュニティづくりの活動・セチャバセンター
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さまざまな相談活動、交流会や自助グループによる居場所づくり「わかちあい@東京」を行っています。
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