今年開催されたチャリティイベントの
サブタイトルは「君は 愛されるために生まれた」です。
このタイトルのゴスペルを、ナンシーさんが歌ってくださいました。
このタイトルにした私たちの想いが、私のつたない話から少しでも皆さんに伝わればと願っています。
3月11日に、未曾有の被害をもたらした東日本大震災が発生しました。
多くの方が犠牲となりました。 多くのものが失われました。
そして現在も多くの人が、過酷な環境の中での暮らしを余儀なくされています。
震災孤児となった子どもたちもいます。
震災弱者といわれる、高齢の方や障害のある方、
乳幼児や女性がさらされてきたストレスはいかほどでしょうか。
収入の道を再生しなければならない稼動年齢の方たちのストレスはいかほどでしょうか。
また、原発事故によって今、私たちは生きていくうえでの価値観など全てを問い直す作業を問われています。
この半年間で、大切な命や絆との結びつきを考え直した方がほとんどではないでしょうか。
南アフリカの問題も実は共通することがたくさんあります。
何より、命の問題であること。
自分の命。そして他の人の命。
命をどれだけ私たちが大切にしていけるか、守っていけるか。
何よりも、愛していけるか。
という 点で、南アフリカのエイズや貧困の問題も震災も
実は同じことを私たちに問いかけているのだと思います。
そして、仮に何かを背負ってしまった場合であっても、失ってしまった場合であっても、
人は必ず回復の道をたどれること。
決して元の同じ状態には戻れない かもしれないけれど、
新たな再生の物語を人は作っていけることを私たちに伝えている問題なのだと思います。
南アフリカで出会ったある家族との会話を紹介します。
出会って9年になる長いつきあいのある家族です。
その家族が数年前に独り言のように語った言葉が、常に私の心には強く残っています。
「何が辛いって・・・彼を失って、何が一番辛いって・・・ 声がきこえないのよ。
返事がないの。
私が呼ぶじゃない。何度も呼ぶじゃない。
それなのに、部屋には音ひとつしないのよ。
死んだ人と心の中で会話するっていうけど、
祖先とつながって心を通わせることが可能だっていうけれど、
私が名前を呼んでも、彼の声は聞こえないのよ。
私は、この部屋で彼と話したいの。
だって、そこで踊って、笑っていたのよ。
エイズってなんなのかしら。
町中がそうなのよ。
皆、話したい人と、今じゃ話せなくなってしまって・・・」
彼女がこう話していたときには、エイズの発症を抑えるのに効果的だといわれる、
ARVという薬の政府による無料治療がやっと始まっていました。
2004年から南アフリカでは、少しずつ貧しい人も治療に手が届くようになりつつあります。
けれども、すでに彼女は家族の半分をエイズで失っていました。
治療につながった友人も身近にはいました。
それでも、南アフリカの・・・特にアフリカ人の住んでいる町「タウンシップ」と呼ばれていますが、
ここでの毎週末のお葬式の風景は変わりません。
政府によるHIVエイズの無料治療を受けられている人は、まだ全てではなく一部に過ぎません。
南アフリカのタウンシップは、まだまだ町中が彼女がいうように傷ついています。
アパルトヘイトという、国家による人種差別政策が終わった後の傷も癒えないうちに、
襲われたエイズという病気の「音のない戦争」と呼ばれる感染爆発の悲 劇に、
町中がどこかしら傷ついているのです。
タウンシップで過ごしていると、ため息や涙を耐えた静けさのような悲しみをよく感じます。
この先、仮に全ての人が治療にアクセスできるようになった場合で も、失った人は戻ってはきません。
誰もが、遺された人誰もが、大切な人の声がききたいのです。
大きな喪失感。
それに苦しむ期間は、人それぞれです。
けれど、たとえどれだけ気丈な人であっても、悲しみというのは完全に癒えるものではないように思います。
時がたち、それなりに向き合えるようになる。
それなりに失った体験に意味を持たせる。
そうやって、誰もが、現実の生活と折り合っていきます。
それでも、やはり人は失った人と話したいのではないでしょうか。
その人の手に触れ、抱きしめたいのではないでしょうか。
失う。
喪失という体験はあらゆる人が経験するものであって、南アフリカのエイズの問題だけではありません。
ただ、南アフリカで何が起きてきたのか。
そのことを本当に考えてくださるときには、
会いたい人に二度と触れられない苦しみの壮絶さを、
自分だったらどう乗り越えるのだろうか?と考えてみていただきたいのです。
そして、それと同時に、亡くなっていった人のことを考えてほしいのです。
自分の死によって遺すことになる、大切な、愛する人たちのことを
どんな気持ちでその人たちは考えたでしょうか。
この先、大切な人と再びどこかで巡り合い、語り合えるのか。
再び、たとえ一瞬でも出会えるのか。抱きしめられるのか。それができなくなってしまうのか。
遺される人と同様に、壮絶な苦しみを経ながら病や死と向き合っていくのです。
自分の死がどのような形で訪れるのか。死とはどういうものなのか。
誰も、生きている私たちは死を経験していないのですから、死そのものも大きな不安です。
それでも、南アフリカでは多くの人が、
ホスピスなどで死と向き合い、自分の命のことを語り、愛する人のことを語り、勇気をもって旅立っていきます。
旅立つ者。遺される者。
それぞれが体験する、喪失と再生の物語があふれるほどにアフリカの大地にはあります。
それは、決して私たちに関係のないものではないことを、今、私たちは知っています。
このコンサートの収益は、旅立つ人が最後の時間を過ごすエイズホスピスと、
遺されたエイズ孤児たちをケアする、タウンシップの草の根のプロジェクト、
そして震災の活動へ使わせていただきます。
まず、エイズホスピスについて紹介します。
セントフランシスケアセンターというホスピスは、独自にARV治療のためのクリニックを持っています。
そして、末期という理由で、公立病院で受けられなかったARVの治療を末期の患者さんたちが受け、
回復して家族のもとへ退院する希望を一縷とも失わずに済むよう、
1 人でも多くの患者さんを失わずに済むよう、努力を続けています。
しかし、現在政府からの補助金がカットされ、運営の危機にあります。
チャリティコンサートによる寄付先の次の団体、
私が代表を勤めさせているニバルレキレが支援しているエイズ孤児をケアする草の根のプロジェクトは、
エイ ズで亡くなった女性の遺志をついでコミュニティの人たちがたちあがり生まれたものです。
現在子ども達をケアしているのは、貧しい家庭から努力して福祉の専門知識を習得した若者や、
HIVに感染しており一度は自分も死との境目をさまよっ た、子を持つ母親たちです。
私たちの活動費が少ないために、全員無償のボランティアで現在は運営しています。
エイズについてもう一つ、お話をさせていただきたいと思います。
今回は、専門知識としてのエイズについての話とは少し違う視点からの話です。
人が愛し合う。そして子供を育んでいく。という、命の根幹にかかわる愛の営みの中で、HIVの感染は起こります。
HIVエイズというのは、
人が人を愛すること、
人が自分自身を愛すること命を大切にしていくこと。
という最も基本的なことを見つめなおすことを、私たちにつきつけている病気なのではないでしょうか。
日本は先進国の中で唯一感染者が増え続けている国です。
そしてHIVは早く検査を受け、陽性とわかったときには医療につながることで効果的な治療を受け、
発症を遅らせることができる慢性疾患となった、と言われていますが、
つい最近もニュースとなっていますが、ウイルス感染から発症までの期間が
過去に言われていた約10年よりも短い3年ほどで発症する、
変異したウイルスへの感染者が増えていると言われています。
つまり、一刻も早く、性体験その他感染の危険のある行動のあった私たち誰もが、検査を受け、
自分が陽性かどうかを知ること、そして何よりも感染しない生き方を選ぶことが急がれているのです。
震災におきかえずとも、エイズそのものも、
私たちの中にある課題なのだということを是非考えてみていただければと思います。
そして現在ニバルレキレが始めた震災支援の活動をぜひ見守っていただければと思います。