はじまりは、エイズホスピス。
300人以上の人を看取った3年間。
HIVに感染したエイズ孤児たちの輝く笑顔。
彼らの暮らす場所、遺した家族を知らずにはいられなかった。
一人での模索がいつしか多くの人に支えられる活動へ。
人とつながることの大切さ。
ソーシャルワーク・メンタルヘルスの専門職という強み。
エイズ孤児支援やHIV陽性者支援、エイズ教育を越えて。
生きづらさを抱えたすべての人と。コミュニティを再生していく。
そして東日本大震災。
南アフリカで学んだように。
出逢ったあなたの隣で生きていく活動を続けている。
中庭では、エイズ患者たちが集う。歌うこともあれば、皆でエイズのことや家族のことを話し合う。喜ばれるのは、マッサージ。
HIV感染孤児のいる「レインボウ・コテージ」。病棟での保育や午前中の3歳から上の子ども達の院内学級の運営を手伝う。
→セントフランシスケアセンターについてくわしく知りたい方、
寄付をされたい方はこちらをクリック!
St.Francis Care Center http://www.stfranciscarecentre.co.za/
貧しい人が治療を受けられるようにするための権利擁護運動を展開していたTreatmet action campaigns のボランティアスタッフとなる。
TACの勉強会やワークショップに参加する中で、HIV活動家の仲間をつくり、様々なタウンシップやスクウォッターキャンプのHIV/エイズへの取り組みの状況を把握していく。
→トリートメント・アクション・キャンペーンについてくわしく知りたい方、
寄付されたい方はこちらをクリック!
Treatment Action campaigns http://www.tac.org.za/
一つの絵の具セットを数人で分け合って使う。きちんとしたテーブルがない場所での絵画活動が多いため、家の軒先や、段ボールの上、草の上でお絵かきする。
この日の活動は、他団体で。海外から寄付で届いたコンドームをその団体ではこれからエイズ教育の一環として配布する。この日はテーブルとして活躍。
クリニックや病院の待合室を利用してエイズ啓発・予防教育や、検査を呼びかけるワークショップをコミュニティに住むHIV活動家と一緒に行っていく。
ARV治療を無料で提供してくれるクリニックとの関係をつくり、必要なエイズ患者をクリニックへつなげる活動を行う。
ホームステイし、タウンシップでの暮らしや、HIV陽性者の置かれている状況などを教えてもらった、ググ・ヂャミニさん。
多くの人が展示会や講演会その他の企画を全国で行ってくれた。
グループによっては、ミーティングの運営の方法から支援したり、当事者の秘密を守りながら活動していく必要性などを指導していく。
運営が安定している自助グループからは、HIV陽性者がそれぞれの暮らしの中で抱える悩みをきくことでコミュニティで必要とされていることを理解していく。
遺されたエイズ遺族やエイズ孤児には、さまざまな苦しみがあり、長い年月をかけての支援が必要。
アフリカ文化を理解し、祖先とのつながりの大切さや、独自のエイズとの折り合いのつけ方も否定しない配慮をしていく。
エクルレニ市の様々なタウンシップやスクォッターキャンプを訪問する中で、行政やNGOの支援が不足している地域が把握できた。
エイズ孤児や遺族を支援する地域としてカテェホンとエマプペニというタウンシップを選択する。
長年支援する中で、苦しみから回復したエイズ遺族やHIV陽性者が、みずから地域で困っている人を支援する活動を始められるようになった。
同じ立場にあるエイズ遺族やHIV陽性者による支援は、何よりも安心感と説得力があり、皆が笑顔を取り戻す。
2013年、活動を組織化することになった。
→カテェホンでのカニシーレの活動はこちらをクリック
エイズといきる人たちへの支援の不十分だった、エマプペニという貧困地区で、住民の手によるプロジェクトの立ち上げと運営を支援。
主役はあくまで住民たち。すべてのことを住民による話し合いの中で決めていく。
→エマプペニでのセチャバセンターの活動はこちらをクリック
南アフリカのHIV活動家とともに、仮設住宅を訪問。サロンでの交流や、講演会などを行なった。
首都圏への広域避難者(主に原発災害からの母子避難世帯)や、震災弱者(病気や障害のある方・単身者)の心のケア活動を行っている。