私たちは、南アフリカ共和国ハウテン州の大都市ジョハネスバーグに隣接する、エクルレニ市のタウンシップ(旧黒人居住地区)やスクウォッターキャンプ(不法居住地区・スラム)で、エイズとともに生きる人たちと一緒に活動しています。
ニバルレキレはハウテン州の大都市ジョハネスバーグに隣接しているエクルレニ(Ekurhuleni)市内のタウンシップを中心に活動しています。
エクルレニとはツワナ語で「平和の地」を意味します。ジョハネスバーグの東に位置するこの市は1880年代に金鉱脈の発見によって発展しました。250万人以上の人口を抱えています。大都市ジョハネスバーグ、また南アの玄関となるジョハネスバーグの空港の労働を支えている地域です。
このエクルレニ市の中に無数のタウンがあり、タウンは数多くのタウンシップ(アパルトヘイト時代の旧黒人居住区)を抱えています。そしてそれらのタウンシップの周囲には無数のスクォッターキャンプ(不法滞在の居住地区・スラム)が広がっています。
タウンシップとは、アパルトヘイト時代に主にアフリカ系人種に割り当てられていた「旧黒人居住区」です。
移動の自由ができるようになった、アパルトヘイト廃止後には、特に大都市を抱えるハウテン州には地方出身者が多く流入し、タウンシップは現在も拡大し続けています。
この地区に白人が入り込んでくるということは、ほとんど見られません。
そ
タウンシップが住宅街として大きく広がっていて、その周りを取り囲むようにスクウォッターキャンプ(不法居住地区・このホームページではわかりやすくするため、「スラム」と表現する場合が多いです。)が広がっています。
そのすぐ脇を幹線道路が走り、幹線道路が主要なタウン(街)とタウン、都市と都市とを結んでいます。このような風景が広がっているのが、ハウテン州のアフリカ系人種の暮らす地域です。
タウンシップでは、2~3万円の収入で暮らしているアフリカ人が多いのですが、物価の高い南アフリカで、例えば4人家族が最低限の暮らしを保障される金額としては5万円くらいは必要ではないかと思われますが、現実にそれだけの収入が保障されていない人が大半です。
そういった中で、食事がおろそかになったり、子どもの養育・教育環境が悪くなってしまいます。
タウンシップで家を所有する人たちは大半は2~3部屋の平屋に住み、多くはその敷地の裏庭に、トタン屋根のコンクリートブロックを固めただけの壁でできた四畳半ほどの部屋を3~5室建てて、一室を300ランド(6000円)くらいで貸して、家賃収入を得て暮らしています。
ただし最近はそれらの離れの部屋に親戚一同が流れ込んで、例えば唯一稼ぐことのできている人間の収入に、10人近くが頼っていたり、老人や障害者がもらえる社会援助給付金(老齢年金や障害者手当)に皆がすがっている光景も多々目にします。
並んだ部屋の前に共同の水道があり、その水で洗面や料理、洗濯などをします。
また部屋の脇に共同トイレが1つ設けられています。
(中には所有する家の中にトイレを設置している場合もあります。外に設置されたトイレは行政がアパルトヘイト廃止後のインフラ整備の中で設置していったものです。
治安が悪いので、夜は外には出ず、水はバケツに汲んだものを使い、トイレも家族全員でバケツで済ませて朝トイレに流すようにしています。
風呂はなく、大きなタライを使って、沐浴を行ないます。
(バスタブがある場合がありますが、お湯が水道から出るわけではなく、シャワーが設置されていないこともあるので、ポットで2~3回分沸かしたお湯をはって、バスタブの場合でも沐浴のみ行ないます。)
料理は電気コンロか、石炭ストープを兼ねたコンロで行います。
タウンシップは、アパルトヘイト時代には白人居住地区や鉱山などの仕事へ、移動許可証の「パス」を持って働きに出るために、強制的に居住を割り当てられていた地区です。
その中には、良い収入を得られるような産業は何もなく、公共交通も発達していませんでした。
現在ではかなり人々は流動的に動いて、入れ替わりもありますが、不便なタウンシップに豊かな人が移り住んで再統合や融合しながら、アパルトヘイト後の街づくりがされたわけではありません。かつての豊かな白人居住地区が平等に人々に解放されることもありませんでした。
ですので、タウンシップでの暮らしというのは、いまだに交通費を払って外へ出かけてかなければ、相変わらず産業も仕事もほとんどなく、屋台や家の軒先での雑貨屋での買い物やヘアカットなどしか済ますことができず、娯楽といえば酒屋といった状況です。
タウンシップの中だけを見ると、アフリカ人の失業率は他の人種よりも高く、様々なデータをみると、おおよそ40~70%と言われています。
タウンシップには、平均的には最低1か所はスーパーマーケットもあり、またガソリンスタンド(お店つきが多い)があります。
近所の雑貨屋以外で買い物したい場合には、自宅から最低100円前後を払ってローカルの乗り合いバス「タクシー」(ワゴン車で13人ほどの乗車が可能)を使って、用を足します。
タウンシップとタウンシップをつなぐ乗り合いバスのターミナル地区には、スーパーを中心としたショッピングモールがあり、銀行などの用も済ませることができます。
タウンシップは一つ一つが広大なため、日本で「丁目」「番地」を設けているよりも、大きな区分けを「セクション」として分け、その中で住所を設置しています。
いくつかのセクションに必ず1つ、公立の学校(日本での小学校~中学校)が設置されています。
学校はグレードRという小学校1年生(グレード1)の前の1年から始まります。
そして毎年毎年が及第性になっているので、小学校1年生から、落第する子が出てしまいます。
エイズ孤児や、HIV感染のために入院していた子どもなど、エイズの影響を受けた子どもたち、それから貧困の中にいる子ども達はこの及第制度の中で、どんどん落ちこぼれてしまう危険がとても高い国です。
エイズ孤児の場合は学費の免除を受けることがこの時期は可能です。
日本の高校にあたる時期からは、違った学区構成で、公立の学校が用意されています。
この時期(グレード9)からは、どんどん学校側も及第制度を厳しくしていきます。
ニバルレキレがかかわってる子どもたちは、学校から落ちこぼれがちな子どもがほとんどなので、この時期からより一人一人の子どもの個性に応じた支援が求められていきます。
そして、グレード12が日本の高校卒業学年です。マトリック(National Senior Certificate)の試験を受け合格すると、高校卒業資格があるとみなされ、大学入学が可能となります。
専門学校はニバルレキレが活動するエクルレニ市は市を東西南北に区分けして「エクルレニ市テクニカルカレッジ」を設立しており、学費は民間よりは安い金額で就職に役立つ専門コースを学ぶことが可能です。
それでも一般的な家庭には、高い学費であったり、奨学金が通る成績が取れない学習の苦手な子どもたちをケアしているニバルレキレでは、子どもの支援に苦労させられる年代です。
なお、マトリックを取る前に、ドロップアウトしてしまった子どもや大人が学ぶことのできる、夜間学校やNPO団体が運営している学校もありますが、そういった情報を収集する力に弱い家庭が多く見られています。
それぞれのタウンシップには、必ずシビックセンター(役所)があります。
シビックセンターから遠いタウンシップには、地域に応じては、ソーシャルワーカーなどがクリニック他の公立の建物に週に1~2回やってきて、相談にのる体制をとっています。
医療の場合ですが、広いタウンシップの数セクションに対して1か所のクリニックが設置されています。
イメージは日本の保健所に近いものですが、診察を受け、簡単な薬の処方を受けることができます。
HIVの検査を受けることもできます。
公立病院は2~3のタウンシップに対して1か所設置されています。
HIV陽性者の場合は医療は全額、無料で受けることができます。
地域によっては、クリニックがまず住民の行く場所で、重症な場合や抗生物質が必要なケースが公立病院に紹介される仕組みをとっている場所も、エクルレニ市内にはあります。
ですが、たいていの地域では、住民はクリニックにかかるか病院にかかるか自分で選ぶことが可能です。
ARV治療が行き渡りつつある現在は、その他の抗生物質もクリニックで手に入る場合が増えてきています。
なのでHIV陽性者は、日常の診療や相談はクリニックで受け、定期的に免疫指数をチェックしに公立病院を受診するという場合が多くみられています。
また公立病院内では、感染症(南アフリカの公立病院ではHIV限定)外来の患者さんは、他の診療科からわかりにくいよう、プライバシーに配慮された外来が設けられている場合も増え、そのような地域では、公立病院をかかりつけにするHIV陽性者が多いです。
医療の内容については、ARV治療を受けられるHIV陽性者の数は増えていますが、薬を永続的にもらえるという在庫に関しての保障、国の制度(エイズ対策への財政に関しての保障など)、HIV陽性者にとっては不安は常につきまとっています。
また、白人が必ずしも富裕層ではなく、アフリカ人が貧困層でもありません。
現在は「ブラックダイヤモンド」と呼ばれる、富裕層へと、生活をレベルアップさせているアフリカ人も誕生していますし、一方で貧困になり家を失う白人も都市部には見られます。
※医療についてはあくまで、公立の医療機関についてのみの情報です。